創立以来「自由の学風」を建学の精神としている『京都大学』。その象徴とも言える折田先生像はじめ、京大の特色などご紹介します。
京都大学(きょうとだいがく、英語: Kyoto University)は、京都府京都市左京区吉田本町36番地1に本部を置く日本の国立大学である。1897年に設置された。
| 大学設置 | 1897年 |
|---|---|
| 創立 | 1869年 |
| 学校種別 | 国立 |
| 設置者 | 国立大学法人京都大学 |
| 本部所在地 | 京都府京都市左京区吉田本町36番地1 |
| キャンパス | 吉田(京都府京都市左京区) 宇治(京都府宇治市) 桂(京都府京都市西京区) |
| 学部 | 総合人間学部 文学部 教育学部 法学部 経済学部 理学部 医学部 薬学部 工学部 農学部 |
| 研究科 | 文学研究科 教育学研究科 法学研究科 経済学研究科 理学研究科 医学研究科 薬学研究科 工学研究科 農学研究科 人間・環境学研究科 エネルギー科学研究科 アジア・アフリカ地域研究研究科 情報学研究科 生命科学研究科 地球環境学大学院 公共政策大学院 経営管理大学院 |
| ウェブサイト | 京都大学公式サイト |
創立以来「自由の学風」を建学の精神としている。国立大学法人となったあとに制定された京都大学の基本理念でも「自由の学風」が謳われている。
京都市内の繁華街からはなれた古都の風情を残す落ち着いた環境の中にあり、何事も学生の自主性に任せるという「自由の学風」を標榜しており、毎年行われる11月祭や折田先生像をめぐる落書き、卒業式での仮装などにもその一端を垣間見ることができる。
京都大学の起源は1861年(文久元年)に長崎に設立された長崎養生所(その後長崎精得館へ改称)まで遡る。長崎精得館の理化学部門は当初江戸にあった開成所(現在の東京大学)へ「理化学校」として移設することになっていたが、明治維新の混乱で実現しなかった。1868年(慶応4年)に明治政府は「理化学校」を舎密局(せいみきょく、後の理学校)として大阪に開設することを決定、1869年に開校した。1870年、理学校は1869年に開設された洋学校と合併、開成所となる。開成所はその名称を大阪英語学校 (旧制)、大阪専門学校、大阪中学校、大学分校と変遷させ、1886年に公布された中学校令によって、第三高等中学校と改称する。第三高等中学校は1889年8月1日に京都市吉田町に取得した新校地へ移転した。1894年に公布された高等学校令に基づいて第三高等中学校は旧制の第三高等学校(以下、本記事において「第三高等学校」は特に断りのない限り、旧制第三高等学校を指す)となる。
帝国大学令制定後、近畿にも帝国大学の設置をという声が上がっていたが、財政難のため見送られ続けていた。1895年に西園寺公望は日清戦争で得た賠償金をもとに第三高等学校を帝国大学へ昇格させる提案を行う。最終的に第三高等学校を東一条通の南側(現在の吉田南キャンパス)に移転し、高等学校の土地・建物を大学が利用するという案が採用され、翌年予算処置が可決される。1897年6月18日に京都帝国大学設置に関する勅令が制定され、京都帝国大学が発足する。
創設時の計画では1898年にまず法科大学から設置する予定であったが、工科志望者の急増により1年前倒しという形で、創設と同年の1897年に京都帝国大学理工科大学が設置された。続いて1899年京都帝国大学法科大学及び京都帝国大学医科大学、1906年京都帝国大学文科大学を設置し、約10年をかけて分科大学を設置した。初代総長(1897-1907年)には文部省専門学務局長の木下広次が就任。事務局長に当たる「書記官」には中川小十郎が就任した。
当時の総長の意向もあって、「研究・教授・学修の自由を重んじるドイツ式」を採用、ドイツの大学のシステムに倣った。高根義人の主導によるこの方針は現在の「自由の学風」に影響を与えたと言われ、法科大学の卒業生の高等文官試験での不振を端として転換されたものの京都大学に独特の学風を根付かせる端緒となった事は確かである。
1919年に分科大学制が学部制に変わった。その年には、経済学部が法学部から分離して独立の学部となり、1923年には農学部の設置と学部の増設が相次いだ。農学部増設と同じ年には本部構内に京都大学のシンボルとして親しまれている時計台を持つ大学本館が完成している。1926年には京都大学初の附置研究所に当たる化学研究所が設置された。
昭和に入ると思想関係の締め付けが強化された世相を反映して、京都大学でも思想事件が相次ぐ。1928年、文部省はマルクス経済学者の河上肇教授の辞職を要求、教授会は河上の辞職を認める決議を出し河上は大学を追われる事になる。さらに1933年には鳩山一郎文部大臣が法学部の滝川幸辰教授の刑法理論が「赤い思想」であるとして休職処分にした事から法学部の全教官が辞表を提出、総長も文相と会見、辞意を表明したものの文部省からの切り崩しにあい、結局滝川ら7人の教官が大学を去る事態となったいわゆる「滝川事件」が起きている。
戦時体制の強化に伴い、日本精神史(文学部)、東亜経済政策原論(経済学部)、航空学・燃料化学(工学部)などの国策に沿った講座が設けられ、太平洋戦争の開戦後、学生を軍隊風に編成する目的で「京都帝国大学報国隊」が結成される。
1943年、文系学生の徴兵猶予が停止され、学生が続々と戦場に赴いた。京都大学の学徒出陣壮行会では総長を先頭に平安神宮に参拝、必勝を祈願したという。
第二次大戦終結後、公職追放によって大学を免職になる教授が出る一方で、滝川事件で大学を去っていた滝川幸辰らが大学に復帰した。1946年から女子の入学が認められた。創立五十周年にあたる1947年には大学名から「帝国」が削られ、京都大学と改称、1949年には第三高等学校を統合している。同年には、理学部教授湯川秀樹が日本人初のノーベル賞に輝き、京都大学ではこれを記念して湯川記念館を設置、その後湯川記念館は基礎物理学研究所に改組されている。
1968年、青年医師連合の京都大学の支部による医学部大学院入試ボイコットの呼びかけに応じなかった受験生に青医連メンバーが暴行を働いたいわゆる「青医連事件」を端緒として教養部は無期限ストに入り、学生部はロックアウトされた。東大のような入試中止という事態は免れたものの、戦後はじめて卒業式が中止に追い込まれ、さらに翌年度になってもいくつかの建物のロックアウトは依然続き、全面解除は9月まで持ち越されている。なお、1973年度は、入学式が中止になっている。
1992年、総合人間学部が設置され、翌年には教養部が廃止、同時に大学院大学への移行も行われ、現行の大学組織の形に改編された。1997年に京都大学は創立百周年を迎えた。そして2004年、時代の流れにより国の改革のひとつとして国立大学法人法が施行されその規定により京都大学は国立大学法人に改組した。
本稿ではこれらの経緯から創立は第三高等学校の前身である舎密局の設置年である1869年、設立は京都帝国大学が誕生した1897年としている。
| 1869年 | 5月 舎密局設置 9月 洋学校設置 |
|---|---|
| 1870年 | 1月 舎密局を化学所に改組 5月 化学所を理学所に改組 10月 洋学校が理学所を併合、開成所に改組 |
| 1872年 | 8月 学制公布により、第四大学区第一番中学に改組 |
| 1873年 | 4月 大学区分画改正により、第三大学区第一番中学に改称 |
| 1873年 | 4月 開明学校に改組 |
| 1874年 | 4月 大阪外国語学校に改組 12月 大阪英語学校に改組 |
| 1879年 | 4月 大阪専門学校に改組 |
| 1880年 | 12月 大阪中学校に改組 |
| 1885年 | 7月 大学分校に改組 |
| 1886年 | 4月 高等中学校官制公布により、第三高等中学校に改組 |
| 1895年 | 9月 高等学校令公布により、第三高等学校に改組 |
| 1897年 | 6月 京都帝国大学設置 9月 京都帝国大学内に、分科大学として理工科大学設置 |
| 1899年 | 9月 法科大学、医科大学設置 12月 附属図書館、医科大学附属医院設置 |
| 1903年 | 4月 医科大学を京都医科大学と福岡医科大学に分割 |
| 1906年 | 9月 文科大学設置 |
| 1909年 | 11月 台湾総督府より台湾演習林を移管 |
| 1911年 | 4月 九州帝国大学開設に伴い福岡医科大学を分離、京都医科大学は旧称復帰 |
| 1912年 | 12月 朝鮮総督府より朝鮮演習林を貸与 |
|---|---|
| 1914年 | 7月 理工科大学を理科大学と工科大学に分割 |
| 1915年 | 12月 樺太庁より樺太演習林古丹岸森林を移管 |
| 1916年 | 12月 樺太庁より樺太演習林亞屯森林を移管 |
| 1919年 | 2月 各分科大学を学部に改称 5月 経済学部設置 |
| 1921年 | 4月 京都府北桑田郡知井村芦生に芦生演習林を開設 |
| 1923年 | 4月 第七臨時教員養成所設置 11月 農学部設置 |
| 1924年 | 5月 農学部附属農場、農学部附属演習林設置 |
| 1926年 | 10月 化学研究所附置 |
| 1930年 | 3月 第七臨時教員養成所廃止 |
|---|---|
| 1933年 | 5月 文部省が法学部滝川幸辰教授を休職処分(滝川事件) |
| 1939年 | 5月 臨時附属医学専門部設置 8月 人文科学研究所附置 |
| 1941年 | 3月 結核研究所附置 11月 工学研究所附置 |
| 1944年 | 4月 臨時附属医学専門部を附属医学専門部に改組 5月 木材研究所附置 |
| 1946年 | 9月 食糧科学研究所附置 |
| 1947年 | 10月 京都大学に改称 |
| 1949年 | 1月 人文科学研究所に外務省所轄の東方文化研究所と民間機関の西洋文化研究所を統合 5月 第三高等学校を統合、新制京都大学に改組。教育学部、分校設置 |
| 1951年 | 4月 防災研究所附置。医学部附属看護学校設置 |
| 1952年 | 3月 附属医学専門部廃止 |
| 1953年 | 4月 新制大学院設置(文学・教育学・法学・経済学・理学・薬学・工学・農学研究科を設置) 7月 基礎物理学研究所附置 |
| 1954年 | 3月 分校を教養部と改称 4月 医学部附属助産婦学校設置 |
| 1955年 | 4月 大学院医学研究科設置 |
| 1956年 | 4月 ウィルス研究所附置 |
| 1959年 | 4月 医学部附属衛生検査技師学校設置 |
| 1960年 | 4月 薬学部設置 |
| 1961年 | 5月 工業教員養成所設置 |
| 1962年 | 4月 経済研究所附置 |
| 1963年 | 4月 数理解析研究所、原子炉実験所附置 |
| 1965年 | 4月 東南アジア研究センター設置 |
| 1966年 | 4月 保健管理センター設置 |
| 1967年 | 6月 霊長類研究所附置。結核研究所を結核胸部疾患研究所に改称 |
| 1969年 | 6月 大型計算機センター設置。工業教員養成所廃止 |
| 1971年 | 4月 放射性同位元素総合センター設置。工学研究所を原子エネルギー研究所に改称 |
| 1972年 | 4月 医学部附属衛生検査技師学校を医学部附属臨床検査技師学校に改称 5月 体育指導センター設置 |
| 1975年 | 4月 医療技術短期大学部設置、医学部附属助産婦学校及び看護婦学校廃止 |
| 1976年 | 5月 工学部附属超高温プラズマ研究施設をヘリオトロン核融合研究センターに改組。放射線生物研究センター設置 |
| 1977年 | 4月 環境保全センター設置 6月 評議会が竹本信弘経済学部助手の分限免職処分決定(竹本処分事件、竹本処分粉砕とも) 7月 埋蔵文化財研究センター設置 |
| 1978年 | 3月 医学部附属臨床検査技師学校廃止 4月 情報処理教育センター設置 |
| 1980年 | 4月 医用高分子研究センター設置 |
| 1981年 | 4月 工学部附属電離層研究施設を超高層電波研究センターに改組 |
| 1986年 | 4月 アフリカ地域研究センター設置 |
| 1988年 | 4月 結核胸部疾患研究所を胸部疾患研究所と改称。遺伝子実験施設設置 12月 国際交流センター設置 |
| 1990年 | 6月 生体医療工学研究センター、留学生センター設置。医用高分子研究センター、国際交流センター廃止、 |
|---|---|
| 1991年 | 4月 大学院人間・環境学研究科、生態学研究センター設置。木材研究所を木質科学研究所と改称 |
| 1992年 | 10月 総合人間学部設置 |
| 1993年 | 3月 教養部廃止 |
| 1994年 | 6月 高等教育教授システム開発センター設置 |
| 1996年 | 4月 大学院エネルギー科学研究科、アフリカ地域研究資料センター設置。原子エネルギー研究所とヘリオトロン核融合研究センターを統合しエネルギー理工学研究所に改組。アフリカ地域研究センター廃止。 |
| 1997年 | 4月 総合博物館設置。情報処理教育センターと工学部附属高度情報開発実験施設を統合しを総合情報メディアセンターに改組。 |
| 1998年 | 4月 大学院アジア・アフリカ地域研究研究科、情報学研究科設置。胸部疾患研究所と生体医療工学研究センターを統合し再生医科学研究所に改組。 |
| 1999年 | 4月 大学院生命科学研究科設置。 |
| 2000年 | 4月 超高層電波研究センターを宙空電波科学研究センターに改組。 11月 大学文書館設置 |
| 2001年 | 4月 食糧科学研究所を大学院農学研究科に統合。国際融合創造センター設置。 |
| 2002年 | 4月 地球環境学大学院(大学院地球環境学研究部・地球環境学教育部)、低温物質科学研究センター、福井謙一記念研究センター設置。大型計算機センター、総合情報メディアセンター、学術情報ネットワーク機構を統合し、学術情報メディアセンター設置。 |
| 2003年 | 4 月 理学研究科附属瀬戸臨海実験所、農学研究科附属演習林、亜熱帯植物実験所、水産実験所を統合し、フィールド科学教育研究センターに改組。高等教育教授シス テム開発センター、学術情報メディアセンターの一部、総合人間学部の一部を改組して高等教育研究開発推進センターを設置。高等教育研究開発推進機構設置。 体育指導センター廃止。 |
| 2004年 | 4月 木質科学研究所と宙空電波科学研究センターを統合し、生存圏研究所に改組。東南アジア研究センターが附置研究所に昇格。遺伝子実験施設を廃止。国立大学法人法の規定により国立大学法人となる。 |
| 2005年 | 4月 留学生センターを国際交流センターに改組。環境安全保健機構、国際イノベーション機構、国際交流機構、情報環境機構、図書館機構設置。 11月 事務本部を経営企画本部と教育研究推進本部に分割、改組。 12月 京都大学アメフト部レイプ事件起こる。スーパーフリー事件を受けて新設されて以来はじめて集団準強姦罪が適用された、「酒を用いて集団で強姦」する事件である。 |
| 2006年 | 4月 薬学教育6年制移行により、薬学部薬学科を6年制に移行(総合薬学科廃止)4年制学科の薬科学科を設置。公共政策大学院(大学院公共政策連携研究部・公共政策教育部)と経営管理大学院(大学院経営管理研究部・経営管理教育部)設置。地域研究統合情報センターを設置し、国立民族学博物館より事業継承。本部事務組織を改組。生存基盤科学研究ユニット設置。 7月 次世代開拓研究ユニット設置。 9月 女性研究者支援センター設置。 |
| 2007年 | 3月 医療短期大学部を廃止。 4月 こころの未来研究センター、先端医工学研究ユニット、生命科学系キャリアパス形成ユニット設置。 |
| 2010年 | 4月 iPS細胞研究所設置。 |
| 2011年 | 3月11日 東日本大震災発生。京都大学の設備に被害は無かったが、旅行で仙台空港の傍にいた4年生3人が津波に呑まれ、23日に死亡が判明した。京大は3人とも卒業要件を満たしていた事から、特例で卒業を認めた。 |